親友にカミングアウトしたけどなんにも変わらなかったからこのまま進む覚悟をした話

 

閉じられた価値観

地元にいたときは、カミングアウトなんてできるはずもなかった。

この「秘密」は、死ぬまで誰にも言えないんだと思っていた。

それは、友だちが僕にとってどんなに大事な人であっても。

 

田舎の価値観は、良くも悪くも一貫的で凝り固まっている。

社会の一員として、責任を果たすこと。

結婚をして子どもを産み育てるということの絶対的な価値。

家族は大切にしなければいけないということ。

誰もがそれを最善と信じて疑わない。

 

地元から飛び出した先で

そして今年の3月、僕はそんな閉鎖的な田舎から飛び出した。

取るものも取り合えず親からも地元からも逃げ出した。

 

今は看護師として働いていたころの貯金で、好きなことを好きなようにやっている。

将来の見通しなんて何も立たないけれど、生まれてはじめて生きていることが楽しい。

 

行動しまくった先で、欲しいものが(少なくとも一部は)手に入ってしまったから、

自分が欲しいものがあったら、なりふり構わず手に入れるための行動をしなければいけない。

というのが僕の中での絶対的な価値観になった。

 

彼女は僕を「すごい」と言った。

友だちは、今みたいなメチャクチャな生き方をしている僕のことを、

「やりたいことをやっていてすごいね」

と言った。

 

でも、本当は全然すごくなんかないんだ。

 

親を切り捨て、他人を切り捨て、前の職場の責任や社会的地位や将来の安定とか。

何もかも放り捨てて、ただ自分が生きる道だけに手を伸ばした。

目の前の僕を生かすためだけに転がりまわっているうちに、いつの間にか明るい場所へ出ていた。

 

自分本位に自分だけを生かした僕は、誰のことも考えることができていなかった。

ただその先にあったものは、学生時代に僕を縛っていたどんなしがらみよりもずっと豊かなものだった。

 

今の僕だからこそ語れる言葉

 

彼女は、家族に対しての責任や義務とか、仕事上の責任とか、僕が捨ててきてしまったものと今なお戦っていた。

そういう彼女のことを僕は素直にすごいと思うし、そうやって真っ向から戦い続ける強さは僕にはない。

 

僕は彼女に対し、

誰かのために生きなくてもいいし、世間的に正しいと言われていることが正しいわけじゃない。

君は、君自身のために生きていい。

というようなことを語った。

 

僕は彼女のまわりの他の誰よりも、彼女自身に幸せに生きてほしいと思った。

 

それらの言葉というのは、自分の力で得た今があるからこそ語れた言葉だ。

七転八倒してきた今までがなければ、僕は彼女に対して何も語ることができなかっただろう。

 

長野に帰るとき、彼女は少しふっきれた顔をしていた。

 

これから証明しなければいけないこと

だからこそ僕は、これから証明していかなければいけない。

自分を殺さないということを達成し終えた今でも、僕はまだ終わっていない。

 

終わるわけにはいかない。

生きてきた今まで、そしてこれから僕が作っていくものが、書く言葉が何一つ間違ってなんかいないことを、僕はまだ証明できてはいない。

 

 

たくさんの人を嫌って、切り捨ててきた。

だからこそ、「話をする」「寄り添う」ということは、「与える」ということは、間違いなく僕にとっての核だ。

僕にしか語れない言葉で、語らなくてはいけない。

それだけが、僕自身と僕の人生の伏線を回収することになるから。

 

いいことなんて多分、ほとんどなかった地元での24年間。

その中で唯一「今」につながっているのが、今日会った悪友と、台風で早めに帰ってしまったもうひとりの友だちだ。

 

はっきり言って僕の命よりも家族よりも近くて大事な2人。

僕は2人に出会えて本当に良かった。

 

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