ポリアモリーで新しい家族の形「東京ポリーランド」

東京ポリーランドというコミュニティを始めて、約1年半が過ぎました。

形としては理想的なコミュニティになってきたんじゃないかな。

 

東京ポリーランドのこれまでと現在

初期ではプレゼンやワークショップをやったりなど結構頑張っていました。

【ポリアモリー】複数恋愛実行委員会イベントレポート!!

【イベント】東京ポリーランド住民交流会レポート

 

現在は月1ペースでごはん会を開いたり遊びに行ったりという形に落ち着いています。

 

性自認・性的指向、職業、国籍も様々に、本当に多様な人たちが集まっています。

 

ポリアモリーを日本語に訳すなら、複数恋愛。

複数の人とパートナーシップを結ぶこと。

そこから始まった東京ポリーランドですが、恋愛などとうに超越して新時代の家族の形すら成しているような気さえします。

 

文化と空気について

コミュニティを作るとき、文化や空気感ほど意図的に作ることが難しいものはありません。

 

コミュニティとはつまり、個人の集合体です。

文化および空気感は、ただでさえ複雑な個人の価値観や積み重ねられた会話の数々が複雑かつ綿密に撹拌されることによって精製されるもの。

これが複雑にならないわけがありません。

 

意図的に作ることは不可能ではありませんが、優しい文化、空気感を作ろうと思ってもそれが上手くいくかどうかは運とタイミング次第です。

 

東京ポリーランドの文化と空気感

では東京ポリーランドの文化と空気感はどうか。

僕個人としてはこれは大成功なのではないかなと思っています。

IQが高い

まず、会話の知的レベルが高い。

その時々のメンバーによっては哲学、宗教、観念を絡めた話がポンポン飛び交いすごく楽しい。

僕自身が理屈っぽくて話好きというのも多分にありますが。

 

複雑な話をしないときでも、恋愛や性愛について悩んできた人も多く、そのあたりから価値観ベースの(今風に言うならエモい)会話が生まれます。

性やセックスの話も普通に飛び交います。

けっけ(@bestia_parva)が主催者の一人であるポリーラウンジの心理的安全性の文化を受け継いでいるかもしれません。

ポリーラウンジのお約束

  1. 何をいってもいい(空気を読んでいわないという気遣いは不要)
  2. 人を否定したり茶化したりしない(発言が恥ずかしくなったり、わざと注目を浴びるために発言することを防ぐ)
  3. 発言せず、ただ聞いているだけでもいい(話さない自由があってはじめて、何でも話す自由がある)
  4. お互いに問いかけることが大切(積極的に質問する場であることを確認し、お互い安心して問いかけられるように)
  5. 知識ではなく、自分の経験に即して話す(経験に優劣なし。だれでも対等に話ができる)
  6. 話がまとまらなくても、意見が変わってもいい(何かを決める場ではないので、問題なし)
  7. わからなくなってもいい(わからなくなったのは、理解が深まった証拠)

 

「違っている」が当たり前

日本人はとかく「みんな一緒」が大好き。

みんな一緒から外れる人のことを、いじめたりかわいそうがったり「治して」あげようとしたりします。

いずれにしても過干渉です。

 

ところが東京ポリーランドの人たちは、誰のどんな話に関しても「あ、そうなんだ」というスタンス。

否定もしなければ過度な肯定もしません。

 

恋愛的な殺伐がゼロ

ポリーランドの人たちにとって、恋愛はひとりにひとつずつではないし、セックスが伴わなくてもいい。

個人は尊重されるべき一人の人間であって、物のように奪ったり奪われたり、それによって損なわれるような存在ではありません。

恋愛関係というより、家族や親族の安心感にも近いものがあります。

 

東京ポリーランドは優しい世界です。

と同時に、とても独裁的であると思います。

ただし独裁を行っているのは人ではく、「悪意を持って誰かを傷つけてはならない」という唯一にして最大の憲法です。

 

悪意を持った人間はこの世界からは容赦なく淘汰される。

というか入国すら許されないのが、東京ポリーランドという優しき独裁国家です。

 

僕たちはどこへ辿り着いたのだろうか

この幸福で理想的なコミュニティは一体何だろう。

僕たちは始めた当初、こんな幸福な絵図の中生きることをまったく想像もしていませんでした。

僕たちは、一体どこへ辿り着いたというのだろう。

 

僕はこれが、共同体の最終形態なのではないかと思います。

個人心理学の祖であるアルフレッド・アドラーは、独立した個々人が集団の利益を願って形成する共同体感覚という世界を描きました。

 

東京ポリーランドには、

  • 多様性の許容
  • 一人ひとりが自立した個人であるという要件
  • 個人の価値観は不可侵

といったアドラーが目指した理想があります。

 

もちろん流動的なコミュニティという形態においては良い時も悪い時もあります。

ですが、「独立した個人が共同体のことを好きでいる」こと自体はずっと変わりません。

 

東京ポリーランドのこれから

今後については、はっきりとしたことは考えていません。

でも目指したいのは、これからもこの緩やかのコミュニティを継続していくこと、そしてできることなら、僕たちの次の世代を育むことです。

 

第二世代が生まれたらどうなるんだろうか。

進化した関係性の在り方のサラブレッド、あるいはネイティブとして進化した関係性の中に生きる第二、第三世代。

彼らは何を思い、何を感じて、自分自身の新たな未来をどんなふうに築いていくのだろうか。

 

そんな未来が叶ったらいいと思っています。

どこまで見届けることができるのかは分からないけれど、その先を見てみたい。

 

僕たちはどうしようもなく「一人ひとり」です。

決して、未来永劫完全に分かり合うことなど絶対にできない孤独な個人の集合体。

 

でも、僕たちは繋がっています。

目には見えないほど細く、でも切れない強い糸によって。

偶然的産物として形成されたあまりにも優しい文化と空気感によって。

 

東京ポリーランドはこれからも続いていきます。

 

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